「身近に介護を必要としている家族や、高齢な親族・友人がいる方」「医療・介護従事者の方」におすすめの一冊です。目を背けたい「臨終」というラストシーンに「後悔」を残さない為、是非手に取っていただきたい本です。
内容は、実際の現場の実例を紹介することにより、患者さん・家族・友人・医療従事者の心情・葛藤・苦悩などを生々しく書かれています。
きっと本書を読み終えた際には、「後悔」を残さない様、もっと〇〇と〜しよう。など、今の時間の過ごし方等について考えていると思います。
臨終、ここだけの話 現場で見つめた、患者と家族の事情 志賀 貢(著)
著者:志賀 貢さんとは
1935年生。昭和医科大学(現・昭和大学)を卒業された医師。
内科医としての診療のかたわら、小説、エッセイを執筆されています。大学経営、教育にも精通しております。
内科医としては、50年以上も医療を続け、僻地の病院経営に従事し、介護施設の運営にも携わっています。
その長きにわたる臨床経験の中で、様々な場面に立ち合われた経験の一端が本書にまとめられています。
本書の概要 いつかは訪れる「臨終」という宿命を「幸せなものにする」にはどうしたら良いか、様々な事例を基に考えさせる本
本の目次
第1章 こんな臨終で人生を終えられますか?
第2章 腰痛と闘いながら、臨終に追われるナースたち
第3章 「一人暮らしの臨終」をどう防ぐか?
第4章 臨終間近に豹変したモンスター家族たち
第5章 臨終寸前まで続く、親子の確執と和解
第6章 こんな臨終の手当てで大丈夫ですか?
救えなかった社会保険制度
80半ばの高齢者が支給されている国民年金の額は、最高でも6万円程度だと思われます。
その金額で住宅の家賃を払い、インフラの料金を払い、そして残ったお金を食費に充てるのでは十分な生活などとても無理な話なのです。
マンションで一緒に住んでいた寝たきりの母に覆いかぶさるように亡くなっていた息子。
死因は「餓死」。
これまでせっせと働いても入るお金は6万円程度。彼らはどんな思いで絶命したのか。
臨終は人生を映し出す鏡
子どもや孫に囲まれてたくさんの励ましの声の中で最後を迎える臨終もあれば、医療スタッフにも気づかれぬまま一人で迎える臨終もあります。
臨終はその人が生きてきた人生のラストシーンであり、その人生を映し出す鏡のようなものではないかということです。
どんな人でも一生懸命に生きている。
医療機関に勤めていると、様々は死に直面する。
最後の時まで家族に囲まれている人、身寄りがなく癌の進行と向き合いながら自らの身辺を衣服と僅かなお金だけに整理する人、家族と疎遠になり臨終の時にも家族へ連絡取れない人。
自らの臨終を迎える際、これまでの人生を振り返る。どのように臨終を迎えたいのかを考えるに早すぎるということはない。
モンスター患者の激増
とにかく近ごろは、患者と家族のクレーマーが多くなっていて、診療に支障をきたす事も少なくないのです。
その原因の一つ目は、インターネットなどで医療情報が細かなところまで、患者や家族に伝わっているということがあるのではないかと思われます。
昨今、インターネットやテレビ上に医療・健康などの情報は溢れかえっている。
今は、スマートフォンがあれば、様々なことを調べられる時代だ。これがかえって悪いように働いてしまう事もある。
インフレンザ治療薬の「ゾフルーザ」が世に出回った際には、あちこちの外来で「ゾフルーザを処方して欲しい」という声を聞いたものだ。
そもそも薬には症状を良くする作用がある反面、人体に対してもいろいろな副作用があります。
その功罪について知り尽くしている医師が患者さんの症状に適した処方をするのにも関わらず、「テレビでやっていたから」という事でその情報を一方的に振りかざして、医師や看護師にクレームをつけられる方がいる。
この教科書的な常識は、患者さんすべてに丸々と当てはまる訳ではないのである。まずは、医師としっかりと病気・症状・治療方針の選択肢などについてしっかりと話し合って欲しいものである。
ナチュラルコースは死の宣告に等しい
自然に病気の経過を見守る、という意味に使われているのが「ナチュラルコース」です。
つまり、様態が変わったら特別な手当てもせずに本人の体の免疫力や体力の続く限り、最小限度の手当てをして臨終が迫ってくるのを待つ、という見守りのことです。
臨終の前には、積極的治療か、ナチュラルコースかを迫られる場面がある。
最後は、苦しまないで欲しいという家族の希望をよく聞くことがあり、多くは苦しんで生きるよりもナチュラルコースを選択する。
これはつまり、何もしないでただ死んでいくのを待っていると言う事であり、死の宣告に等しい行為である。
何が「善」であり何が「悪」であるかはわからないが、しっかりと理解をした上で選択したいと思う。
在宅医療は家族の負担が大きい
昨今は、在宅医療が高齢者医療の中心になりつつある傾向にあり、行政側も病院への長期入院を避けて、在宅での家族の手厚い看護を受けるように、と勧めています。
在宅の場合は介護の中心的役割を果たすのは家族です。果たして、24時間家族が付きっきりで患者の世話をできるかどうか、はなはだ疑問です。
国の方針としては、在宅での看取りを勧めていく方向で動いている。
しかし、在宅で家族が介護を行うということは、家族の負担が大きいのである。
仕事をしている家族は、仕事を辞めなければならない人もいるだろうし、その結果収入を失う家族もいるかもしれない。
お風呂やおむつ交換・食事など介護の内容は多岐にわたってくる。
大切なことは、ほどほどに弱音を吐き、必要な時に頼れる医師や病院との関係だと思う。なんでもかんでも家族が背負うような在宅医療は変わっていかなければならないと思う。
「幸せな臨終」とは?
まず、最愛の家族に見守られて天国へ召されるという事です。
次は、臨終に至るまでの苦痛の除去について考えなければならないと思います。
想像してみてください。呼吸が止まり、いわゆる窒息状態になったときに、意識がないならともかく、意識が明瞭な場合には、到底耐えられるものではありません。
しかし、この苦痛を大変和らげる方法があります。
家族の温かく優しい言葉と手の温もりほど、臨終の患者さんの苦痛を和らげることのできる特効薬はないのです。
誰もが目を背けたくなるが平等に訪れる臨終。
家族や友人など、その臨終の場に立ち会う際に後悔の無いように、またできうる限り苦痛を取り除ける方法がある。
自らがどの様に生き、どのように臨終をするのか、後悔と苦痛がないようにしたい。